道具の感覚。日本らしさ。
なぜ?
- 日本人の「ものづくり」が発揮出来なくなったのはなぜだろう。
- 近年では、最終的なプロダクトとしてではなく、あくまでも中間材としてしか発揮できていない。
- 日本車がそれほど良いとは思わない。魅力がないのだ。
- 日本人が退屈なものしか作れないとも思わない。
- 日本刀や茶器や日本家屋や庭園や、そういった美しいモノを作り出してきた前例はあるのだから。
- 何か別の要因があるはずだ。
使う者を選ぶ道具
- 日本人がものづくりの感覚を強く発揮出来るものは何かというと、素朴なモノではないだろうか。
- 素朴、と一言でいうけれど、それは素材そのものに近い、もしくは素材として感じられるほど簡素な状態。
- 持ったとき、素直に感応してくれる道具が素晴らしいと思わないだろうか。
- 道具に魂が宿るというけれど、本当に宿る訳ではなく、使うものの心がそのまま「反応」してくれるような感覚。
- 初期のウォークマンってそういう感覚があったのではないだろうか。
- ホンダのカブにもそういうところがあるのではないか?
素直で誠実な道具
- 今の日本のプロダクトの問題点は、道具が「おもてなし」をしようとしているところではないか。
- 「おもてなしの心こそ日本の強みだ」という意見があるが、ものづくりに関してはそんなもの要らない気がする。
- むしろ何もしない。ただし、使い手に対して素直に反応すること。
- こういった道具の特徴は、使う人間次第で、道具の力を引き出せないこともあるということ。
- だれにでも平等でない道具。使うのに、使う者の誠実さを問われる道具。
- でもどこか、そんな道具が日本らしいと思えないだろうか。
「おもてなし」しない
- おもてなしとしての多機能性について。
- 例えばテレビ。またはDVDレコーダー。
多機能なものが、いきなりリモコンに並んでいる。「おもてなし」の精神だ。あなたに選ばせます。 - くそくらえだ。
- 今のテレビは、僕たちに反応してくれない。いちいち「何しますか?」と「おもてなし」してくれる。二流のデパート店員みたいに。
センスがない
- 道具の感覚に鈍い人たちが、その道具のプロダクトデザインを決定しているという問題。
- 組織は道具の感覚を持つ人を信じない。なぜならば彼らは「言語化」しないから。正確には出来ないのだが。
- こうした人材は組織管理上「厄介な」人材となる。評価しづらい。マネージメントに不適切なのだ。
- 日本がどんどん真面目になるにつれて、つまらないモノが作られるようになったのは、こういう組織の問題があったのかもしれない。
ハイコンセプト時代に適応する
- もう一度感覚を持つ人を信じてみないか。
- マーケティングも大切。ビジネスも大切。それはわかる。
- でも使う人が驚きも発見も得られないモノを作り続けるのは作り手としてとても空しい。
- もしかしたらこれからの時代、「ものづくり」の感覚はひとつの教養になるのかもしれないと思った。
- そんな、ハイコンセプト的なはなし。
- 作者: ダニエル・ピンク,大前研一
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