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世界最古の洞窟壁画の3D映画を観て、映画の未来を考える

ヴェルナー・ヘルツォークが3D映画を撮ったと聞いて、観ない訳にはいかない。
しかも劇映画ではなく、ドキュメンタリー、それも題材が先史時代の壁画があるショーヴェ洞窟ときたものだ。

映画『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』公式サイト
http://www.hekiga3d.com/introduction/index.php

Wiredでも記事になっている。
世界最古の洞窟壁画を3Dで。太古の暗闇のなかで思うこと
http://wired.jp/2012/03/14/hekiga3d/

今までの3D映画はアバターに代表されるエンターテイメント路線がほとんどだったから、こうしたドキュメンタリーは新しい試みだ。それもハリウッドじゃなくて、欧州の低予算な映画である。
その状況で名匠ヴェルナー・ヘルツォークがどういう風に撮るのか、というところでとても興味があった。

ざっくりな感想を並べよう。

  • 前半は調査班と一緒に入る、ちゃんと撮るのは後半から。
  • 前半の洞窟内の動画は小型カメラで撮影しているため、すごく画面がぐらつき、酔いました。
  • 基本の撮影スタイルは今までの映画と同じ構図で撮影されている。
  • たとえばインタビューするときなども、被写界深度の調整も背景の置き方も今までの映画のやり方を踏襲している。
  • それがなんだか違和感あった。
  • 酔ったのと疲れたので、途中目を閉じてたw
    • 90分の映画なのに。
  • 3Dの威力を発揮したところは、物体の細部を写し出す場面。
  • 地面に落ちている骨や、フィックスで壁画を写し出している場面などは圧巻。
  • 最後の10〜20分はちゃんとカメラを固定して、壁面を写し出すときにゆっくりと照明を当てていた。
  • あまり画面がぶれず、光の当て方もゆっくりなので、疲れずに堪能できました。
  • でもやっぱり疲れました。

90分とは思えないほどの消耗だった。
原因は何かというと、撮り方である。

3D映画はバーチャルリアリティ

率直に感じたところとしては、今までの映画の文法を壊さないといけないと思った。
今までの映画は、平面の中で、空間を感じさせる技法というものが発展してきた。
例えば、切り返しのショットや、わざと空間のパースを強調するショット。

しかし、3D映画ではこれがあだになる。
なぜなら、すでに立体的だからだ。
平面が立体的になると、驚くほど情報量が増える。
その状態で、カットの切り返しなんてやられると、えらい疲れる。

映像が空間的になると、観客は自分が見たいものに、自分の眼の焦点を合わせる。
ここで問題になるのが、被写界深度が浅い場合だ。
これも映画では立体的に見せる技法である。
見せたい人物にフォーカスし、背景をぼかすことで、対象を浮き上がらせるわけだがこれが逆効果になる。
3Dなのに、焦点を合わせる対象を自分で選べないことにストレスを感じた。
おそらく3Dに置ける基本はパンフォーカスになるのだ。
あとは観客が見たいところを、勝手に選ぶ。
監督は、観客に観る対象を押し付けることができなくなる。

これは何に似ているのか。
それは演劇である。
映画は再び「劇場」に返るのだ。

芸術映画の監督こそ3Dに挑戦すべき

今回の作品を見て思ったのは、3Dがとてもアート向きの仕掛けだと思った。
最後の方の壁画のシーンは神聖さというものを感じた。
観客に強烈な体験を与えられるのだ。疲れるけど。

1シーン1ショットの監督がもっと活躍するだろう。
テオ・アンゲロプロスに3Dカメラを持たせたいと思ったくらいだ(残念なことに最近亡くなられた)。
オペラ出身や演劇出身の監督を起用することも十分に考えられる。

逆にハリウッドは3Dで泥沼に陥るだろう。
なぜなら、ハリウッドお得意のカットバックだらけの映画では3Dの良さを引き出せないからだ。
おもちゃ箱をひっくり返したような映像を作って、単なる流行りものだったね、という評価で終わってしまう。

3Dの表現力はあらゆる場面で使える

映画だけではなく、研修ビデオとかでもかなり役に立つはずだ。
立体的に見えるだけで、その感覚というものが伝わってくる。
技能の継承が問題になっているが、そういった人たちの作業をとりあえず3Dで撮影して保全しておくだけでも貴重な資産になる。

個人的には、幻想的な舞、かがり火の中の能舞台を映したいと思った。

3Dには未来がある。
ただ、それを活かす方法を見つけられていないだけだ。