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いつかプログラミングという仕事も消えてなくなるのかもしれない

写植がかつてすごく稼げる仕事だったけれど、デジタル化の波であっという間に仕事がなくなったという話を知って、実は今のソフトウェアエンジニアも同じようなものなのではないかという考えが浮かんだ。

写植はアメリカンドリームだったのか? - たけうちとおるのスクリプトノート

 「写植の時代展」の小冊子を読むと高度経済成長期やバブルの頃は写植という職業も大きく伸び上がり、普通の会社員の年収ぐらいを1ヶ月で稼ぐ事ができたそうです。当時の話を聞くと写植屋さんで5年程修行した若者は「のれんわけ」してもらい、高価な写植機を師匠からもらったり、買ったりして独立して行ったそうです。仕事は山ほどありました。なにしろ景気がいいので雑誌もどんどん創刊されその中の文字は全て職人さんが打った物でした。いまからはとても考えられない時代。写植で家が建つ。そんな時代だったそうです。

特殊技能として稼げる仕事だった写植だが、この後DTPの波で壊滅する。

これと同じことがソフトウェアエンジニアの身に起きないとは、思えない。
今すぐではないにしても、いつか必ず起こること。
たとえば、SiriみたいなAIが勝手に必要なコードを組んでくれるようになったらどうだろう。
対話式で、つまり要求を話すだけで人工知能がポンっと完成品を出してくれるとか。
そこまでやらなくても、Yahoo Pipesのようなお手軽なツールで一行もコードを書かずに、素人でもアプリやサービスが作れるようになったらどうだろう。これなら自分が知らないだけで、すでに実現しているのかもしれない。

単なる技術というのは、遅かれ早かれ陳腐化する。
だからコードが書けることが、仕事にありつける条件にならない日がくる。

しかしながら、プログラミングという仕事がなくなっても「プログラミング思考」の必要性はなくならないと考えている。
AIが勝手に作ってくれるとしても、それを検証するだけの思考能力が必要だ。
ツールでお手軽に作れるといっても、その機能同士の繋がりからロジックを組むのはやはり人間である。

人間の最大の武器は「思考」とそれを活用する「フレームワーク」ではないだろうか。
これから先、あらゆる仕事が産み出され、そしてイノベーションによってその仕事が消えていったとしても、考え方というのは活用する人間がいる限り廃れない。
現代人が古代ギリシャの哲学からも学べるように、1000年のちの人間もまた、この時代に産み出された「プログラミング思考」を活用する未来というのがあるのではないだろうか。

ギリシャ哲学に並ぶ、新しい思考の体系を産み出す時代のひとつに僕たちは生きているのかもしれない。
そう考えると、なんかワクワクしてこないか。