nantekkotai achieves

過去記事置き場

良いは説明できるのか

なぜそれが良いものなのか、客観的に説明できるだろうか。 「それ」はなんだっていい。自分が良いと思っているものなら。 良さを説明するとき「これが本質だ」と言える言葉がすっと出てこないことが多い。最終的には「悪いところがない」という話に落ち着くことさえある。良さを客観的な良さとして伝えることはとても難しいことなのではないだろうか。

反対に「悪い」は説明しやすい。 粗を見つけては、それっぽい説明を加えるだけで納得感が出てくる。リストアップした粗のどれかが実際に「悪い」印象を与える原因である可能性も高いのではないか。

説明可能であることが「悪い」領域にいることを示していたりしないだろうか。理性で説明できるうちは、人が感じる「良い」領域に接触していないのではないか。

良い製品が、実のところ「悪くない」製品である可能性もある。目につく悪いところを無くす(あるいは隠蔽する)ことで、感覚的にはマイナスの感情が出てこなくなる。その中でユーザが良いところを主観的にも見つけることができれば、「うまく説明できないけど良い製品」になるのかもしれない。もしそのユーザに刺さらなくても「悪くないんだけど良くもない」という意見になりそうな気がする。 ジョブズのほめ言葉の一つが「悪くない」だったのは、こういう観点が関係しているのかもしれない。悪さを徹底的に取り除けば、あとはユーザの主観的な印象でしかない。もしそこで少しでも良い体験を与えることができればそれは「良い」と認識されるのではないか。

そう考えると良いと悪いは対立概念ではないのかもしれない。 「悪い」の反対は「悪くない」だし、「良い」の反対は「良くない」。 もしかしたら良いと悪いは同居することだってあり得そうだ。その悪さを良さと感じる感性の人だって居ることだろう。

一旦ここで自分なりの結論を出しておく。 「良さ」は説明不可能な良さがある。それは説明できないと考える。「良さ」を説明するには、「良さ」の外側を全て説明することでネガティブスペースの描画によって初めて説明できるのではないだろうか。 「悪さ」は説明可能な粗を持つ。「なぜ悪いのか」を説明できる。最初は直感的に何か良くないと感じるのかもしれないが、それを丁寧に辿っていくと「悪さ」を説明できる。それが「悪さ」たる所以である。

しばらくはこの仮説で世の中を見つめてみて、また違ったら新しい説を考えたいと思う。