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批評の価値について

批評はなぜ必要なのか? 一般的には、批評とは粗探しのように思われているのかもしれない。しかし、粗探しや否定的な意見を言ってスカッとしている人たちは批評をしているのではない。あれは単に粗探しをしているだけだ。それだけだ。

自分なりの答えとしては、批評とは「対象の価値を発見する行為」なのではないか、と思っている。

例えば石がある。自然界の中ではありふれた石だ。山の中、河岸、そういうところでは他の石とは見分けもつかない。しかし、その石を居間に持って来たらどうだろうか。机の上にポツンとあったら意味ありげかもしれない。あるいはその石よりも小さい砂利をひきつめた場所に置いてみたらどうだろうか。砂利に波紋のような模様を描いてみたらどうなるか。すると石庭になるのではないか。もしその石庭が閉ざされた空間の中にあったらどうだろうか。何か別の、もしかしたら世界や宇宙そのものを指し示すことができるのではないか。

こうして石は意味と価値を獲得する。 石を見て、あらゆる社会的なコンテキストの中に置いてみて、価値を見出す行為。 あらゆる芸術、製品、あるいはなんでもあり得るが、一見して価値がわからないものに文脈を与え、ある場所ではこのように活躍し、またある場所では違った価値を発揮するかもしれないという点を指摘して初めて批評と言えるのではないだろうか。

なぜこんなことを考えたのか。 単に粗探し、批判的な態度だけでは、批評という活動が生産的にならないからだ。 もし批評が生産的であるとしたら、それは一体この社会における何を担うのか。 そしてこの結論に至った。

もしこの世界にあるあらゆるものを文化や歴史的分脈の中で価値づけることができれば、それは世界を救うのかもしれない。無価値なものなどなくなるのだから。そうした偉大な取り組みが可能なのもまた、批評の力なのではないか。