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過去記事置き場

TwitterやFacebookがもたらす煩わしさについて

自分のストリーム上に流れる他人の情報を鬱陶しいと思うことがある。
さして関心のない情報を高頻度にポストされると、まるで自分のスペースを他人のガラクタで埋め尽くされているかのように感じる。

まだフォローしているユーザーが少ない場合はとくに感じないが、それなりに増えてくると読むのが煩わしくなり、しまいにはタイムラインに目を通さなくなる。
メディアとして用を為さないのではないかと感じつつもある。

ソーシャルメディアはやたらと持ち上げられているように感じるけれど、結局はただのおしゃべりが流れて、それを適当に「いいね!」されて「オレ満足!」な自己満足サービスに過ぎないと思っている。
 
個人的にはもっと、自らの経験から出る洞察や観察や記録などが残れば良いのだけれど、なかなかそうはならないらしい。
きっと梅田望夫はこのことにがっかりしたのだろうと今更ながら感じる。

ライフログを残すことは良いことだとは思っている。
けれど、生きているとくだらないことやどうでもいいことの方が多いのだから、何でもかんでもポストしていくと、ゴミのようなデータが山のように流れていくことになる。

それはそれで構わないが、出来ればその中から意味のあることを再投稿することを意識したい。
私の人生はゴミの山だった、なんて思いたくないじゃないか。

膨大なライフログが残るのならば、時に振り返り、密度の濃いコンテンツを残す。
そうすることでソーシャルメディアなるもの、活かされるのではないだろうか。