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過去記事置き場

批評とはなんだろね

最近ジャン=リュック・ゴダールの『映画史』という本を読んでいて、まだまったくの途中なのだけれども、この人の考え方が面白かったのでメモがてら書いていく。

ゴダール 映画史(全) (ちくま学芸文庫)ゴダール 映画史(全) (ちくま学芸文庫) [文庫]
著者:ジャン=リュック ゴダール
出版: 筑摩書房
(2012-02-08)





何が面白かったのかというと、批評についての考え方だ。
一般的に「批評」と云えば「批判」と同義のように思える。
確かに批評するためには批判的に物事を見つめる必要があるかもしれない。
しかしそもそも「批評する」 という行為はどういうことなのか。

それはインプット→自分→アウトプットという流れが批評であるということ。
例えば事象Aというものがあって、それをXさんとYさんが見つめているとする。
「事象Aを批評する」とすると、Xさんはそれを見て自分自身をパスして、アウトプットする。その手段は話すなり書くなり、そして映画を撮るなりして伝える。
この流れが批評である。
当然、XさんとYさんは別の人物なので、ただしく批評すれば二人が同じ意見になるはずがない。
もしXさんとYさんが同じ事を語っていたら、それは批判的思考力が足りていないということかもしれない。

この一連の流れを批評と考える。
するとゴダールはこう語るわけだ。
「映画を批評することと、映画を撮ることに差はない」
映画を批評することは映画を撮ることと同じだと。
映画批評は、映画Aを観て、映画Aについて語ることだ。
映画を撮るとは、何らかの対象をカメラに捉えて、編集して見せることだ。
どちらもインプットがあり、ゴダールというフィルタを通して、アウトプットされる。
違いがない。

こう考えると、今までの「批判」という意味での批評はまったくの的外れと言えるだろう。
批評は自分が「個」であることを主張することである。
自分自身の視点を持っているということ、それを証明すること。

ではいったい批判とは何なのか。
此処から先は私の意見だが、それはフィードバックなのではないか。
人為的な事象Aが起きたら、こう見える、と伝えるのが批判ではないだろうか。
一体批評と何が違うのか、と思うが、批評は飽くまでも一連の流れであり、批判は当事者に対して伝えるということまで含んでいる。
たとえるなら竜巻を批評することはできるが、批判することはできない。
竜巻は人為的に起こすものではないので当然、それを発生させる責任者もいない。
よってフィードバックのしようもないので、批判という行為自体が成立しない。

批評のアウトプット部分が批判そのものになることもあるだろう。
しかし必ずしも同一ではない。

批評が思っているよりも幅の拾い物だと思ったのは以下の本を読んでいても感じた。
高校生のための批評入門 (ちくま学芸文庫)高校生のための批評入門 (ちくま学芸文庫) [文庫]
出版: 筑摩書房
(2012-03-07)

 




エッセイ風だったり、わずか1ページ数行だったり。。。
この本は映画史よりも先に読んだのだが、「こんなんでいいのかよ」と思っていた。
でも今はゴダールの話に納得したから、これもまた批評の姿なのだなと納得したわけです。

批評は大切。
自分が得意とする表現で世界を批評できるようになると、もっと自由になれるのかなと思う。 
だから大切なことは自分の言葉・表現を持つこと。
それを見つけることが、人生なのかもしれない。