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その議論は本当に必要ですか?

議論で決められることと決められないことがあると思う。
全体に関わるルールを決めなければいけない場合、議論が必要なのは間違いない。
しかし、プロダクトを作る場合はどうだろうか。作品の場合は?
議論が向いていないものだってあるはずだ。

個人的な強い想いが推進力になる新しいプロダクトや作品では、議論によって全体の方向を決めることはできない。
決めるられるとしたら、主観的な思い込みに近い意見によるのではないか。

仮に議論があったとしたら、すでに決められた方向をどうやって実現するか、とかだろう。
それは現場レベルの人たちが、手持ちのリソースで目標を達成するために議論するのだ。
合意を得るためではない。
ただ完成させるために、議論するのである。

社会的な物事を決める際には、議論は必要だ。
しかしそれがアートやプロダクトなら要らない。
他と違うことが大事なのだから合意を得る必要はないはずである。

よく言うでしょう。
10人中2人しか賛成しないアイデアにこそ大きなチャンスが眠っているのだと。
議論して合意を得るということは、この10人のうちに多数派を形成させることにほかならない。
しかし10人中8人が理解を示した頃には、そのアイデアが時代遅れになっている可能性は高い。
違うことが大事な場面で、合意を得ることに力を注いでも意味は無いのである。

別に議論が不要だと言いたいわけじゃない。
しかし何にでも議論が必要だと考えると、何も作れなくなる。
作れたとしてもそれは退屈なものになるだろう。

もし面白いものを作りたいと願うなら、個人の中にある意味不明なアイデアに賭けるしかない。
その結果がクソみたいなものでも嘆く必要はない。学べばいいのだ。
他に類のない発明をするエジソンが、電球を完成させるのに何回失敗したか思い出すといい。
モノを生み出すとは、そういうことなのだ。