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過去記事置き場

マネジメントをやるタイミング

ここ一年ディレクションとエンジニアを両方兼務していて、大変だったのだけどいろいろ気付くことも多く、自分なりにキャリアについて深く考えるきっかけにもなりました。

この1年で自分が強く感じたことは、統合的役割であるマネージャーやディレクターになる選択をするのは、自らにとって深く理解したいと願う何かしらの分野について専門家とみられるくらいの能力を持つようになってからの方が良いのではないのか、ということです。

なんでこんなことを考えるかというと、誰かに指示を出したり、決断する、判断するという行為には寄って立つところの価値観や視点というものが欠かせないと強く感じたから。
もし中途半端な能力の状態でディレクターやマネージャーになってしまったら、悲劇なのかもしれない。抜擢であると考えることもできるけれど、地力があったから抜擢されたのか、たまたま調子が良いところを「地力」があると判断(誤解)されて、抜擢されて「しまった」のか、この違いをちゃんと把握しないといけない。

組織的にすぐ元の場所に戻れるのならそれで良いけれど、「自分はエンジニアに向いてなかったからディレクターなろう」などと、ある種の逃げの手として「でもしか」的選択で統合的役割の仕事を選択するとキャリア形成に失敗するのでは、という危惧があります。

この本の中で「自律をしないで統合の役割を担う悲劇」というパートがあります。
自律とは「自分で試行錯誤を繰り返して、自分なりの仕事のやり方や意識を確立すること」と、この本では書いてあります。自律を経なければ一流への扉は開かれません。自分で考え、いろいろ試して、それで初めて組織内外から認められる一流へと進化するそうです。ポケモンみたい。

ところが、日本の組織というのはなぜか自律の段階をすっ飛ばして「統合的役割」の仕事、いわゆる管理職に「ステップアップ」しちゃうことが多いのです。
悲しいことに、自律段階を得ないで管理職になるとそこはキャリアの行き止まりで先に進めない、という世界観がこの本では展開されています。間違った技術ツリーを組むとライバル国に大きく遅れをとって滅亡の危機に瀕してしまう某シヴィライゼーションというゲームみたいなことが起きる訳ですね。

まあここまではこの本の話ですが、自分が考えていたのは、自律を経ないで判断する立場になると、決定の軸はぶれるし、そのための判断もおかしいことになるし、ぶっちゃけ自分が正しいのかどうかの自信も無く、間違ったことをたくさん犯すくせに学習しない、みたいな厄介な人になるのではないかと踏んでいます。

自律の段階で一番重要なのは「自分で考えて試行錯誤して正解に辿り着く」ということだと思います。これを十分にこなしていない人は、上下関係を別として、質の高い決定というものが行えないのではないかと思うのです。

決定を下すための様々な判断というのは、妄想ではなくて現実に対応する形で行われますが、この「現実に対応する」ということこそ「試行錯誤」によって経験する重要なファクターじゃないかなと。

何でもいいので、自分の専門分野について自律的に活動し、出来れば一流を目指してからマネジメントやディレクションに入るのが良いのではないかなと思いました。