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過去記事置き場

ターナー展に行った思い出

思い出という程でもないけれど、本物を鑑賞することの意味を改めて認識した。
大きさ。
あるいは絵の、絵の具のテクスチャがもたらす、光の変化。

画集で見たときには全体の構図を簡単に一望することができる。
しかし、本物の、それもバカでかい絵を前にすると、全体の構図を把握しようなどと思わなくなる。ましてターナーの絵においては、それは本質から外れた鑑賞方法なんだと思わせる力があった。

彼の絵を前にしたとき、真っ先に視線が吸い寄せられたところはどこか。
グラデーションである。

地平線の、
その先に見える、
空と大地の交わるところ。

手前の、絵の構成上でいうところの近景に、さまざまな人が描かれていて、
中景には密集した密林のような森がある。
画集でその絵を眺めた時には、人や木の配置がもたらす効果ばかりに目がいっていた。

それがどうだろうか。
本物を前にしたそのとき、構図やテクニックは霞んでしまった。
ただ私は、地平線のグラデーションに目を奪われていた。

これが本物の力かと、思い知らされた。
しかるべきサイズ、しかるべき条件のもとで最大限の効果を狙って描かれた絵。
今後、ターナーの画集の中の、控えめに印刷された絵を見ても、
感動することはないだろう。
画集の役目は、本物を体験した時の鮮やかな記憶を呼び起こす索引となる。
ただ、あのとき見た驚異を忘れないためだけに、画集を開くことになるのだ。