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エジプト展・ヒエログリフの美

今日は東京都美術館で開催されているエジプト展に行ってきた。

あらためて感じたこととして、エジプト文明が高度過ぎるということ。
職人のレベルが異常に高い。
いままで、さまざまな古代文明の出土品などを展覧会で見てきたけど、どの時代よりも古いはずのエジプト文明の職人が一番精度の高い仕事をしている気がする。
とくに彫刻に関しては、左右対称に歪みなく見事に彫られ、動物の彫刻などは細部まで精緻に作りこまれていた。
ギリシャの彫刻も見事なもんだと思っていたけれど、それより1000年以上も前にこれほど素晴らしい仕事が成されていたと思うと驚きだ。

そしてもうひとつ、感動したこと。
それは生のヒエログリフを見れたこと。
写真でもなく、複製でもない、本物の像や道具に彫り込まれたヒエログリフ
素直に美しいと思ってしまった。これは予想していなかった感想だ。

物も像もいつか朽ちてしまうけれど、文字は僅かな凹みさえ残っていれば、それが何らかの記号であることを読み取れる。
今日感じた感動というのはおそらく、たくさんの補修を施してやっと美術館に鎮座することを許された物たちと比べて、何もせずとも過去から時代を軽々と超えて情報を伝えようとするヒエログリフと、それを見て情報を受け取ろうとする人間というものの関係性や特性に対してだと思う。

抽象的な記号から何かを読み解こうとする。
それは人間の宿命かもしれない。
同時にこれこそ人間が単なる動物ではなく、文明を築き上げてきた動物以上の生命体であること、その証なのではないかと思ってしまう。

人間の、人間たる所以はなんだろう。
単なる写実的な美しさもまた美しいと感じるように、単なる記号を美しいと感じるの何故か。
そこに、思想や情報や、あるいは詩が刻まれているのかもしれない。
私はヒエログリフは読めないが、思わず目で追ってしまう。
書いた人間を想像することもできない。しかしそこには、人が個体であることを超えて、時代も空間も飛び越えて繋がることができることを示しているような気がする。

そういう可能性を示してくれるからこそ、本物のヒエログリフは美しい。

次は楔形文字が読みたい。
そこで自分が何を感じるか、知りたいと思った。