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過去記事置き場

匿名と実名 - 現実と情報空間で人格が一致する必要はあるのか

時代の流れは実名になっていくのだろう、などとぼんやり考えていたけれど、

ネット実名は強者の論理。まじめに論じる匿名のメリット


このブログを読んでやはり匿名の部分を持ってもいいかとも思った。

そもそも現実の人格とネット上の人格が完全に同一、1対1の関係である必要ってないんじゃないかとも思う。
人間は複雑な生き物なので、専門的なこと以外にも興味や趣味の中でも有益な情報や知識を持ち合わせているものであるし、市井の人間も立派な人、誰かの参考になるような人生経験だってしていることだろう。

しかし、これらの情報をまとめてすべて知りたい、と思うことは稀だろう。
この場合、情報に興味があるのではなく書き手自身に興味があるということで、それはそれで望ましいことだと思うけれど、現実は濃密な情報のみに焦点があてられていることが多い。

例えばブログに、知ってる限りの情報や日頃のことまで詰め込んでアウトプットすると、却ってノイズが混じり読みづらくなってしまう。
ならばアウトプットする箇所を分ける、などはよくあるテクニックだし、そもそも実名である必要のないものは匿名で始めてしまったっても良いはず。

今更にこの匿名実名について考えたのはFacebookの存在がある。
彼らは現実の人格とネット上の人格を完全に同一とすることを前提にし、それが正しいとして野望を前進させている。
しかし本当にそれは正しいのだろうか。
複数のネット上の人格があっても、それが現実的に人格が破綻しているのではない限り、別に構わないだろうと思う。
大事なのは、他人に対して誠実に対応するということであり、実のところ実名だろうが匿名だろうがあまり関係ないのではないだろうか。