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過去記事置き場

TwitterとFacebookの違いを考えたら、Facebookはまるでハリウッドのようだと思った

なぜ日本ではTwitterが流行り、Facebookが流行らないのか。
世界ではFacebookのユーザーの方が多いのに。

まず前提として。
Twitterを文字だけのタイムラインとし、Facebookをマルチメディア(テキストだけでなく画像や動画、ゲーム行為も含めて)のタイムラインであると仮定する。

これはコミュニケーションの問題だと思う。
つまり、多種多様な人々の集まりであるアメリカや英語圏では、言葉だけでは十分にコミュニケーションがとれない。
いわゆる暗黙のルールというものが期待出来ないからだ。
出来る限り、ジェスチャーを大きくしたり表情をはっきりさせて言語コミュニケーションの不備を補う。
対して日本では、ほぼすべての人が日本語を話し、同じ文化圏で育っているために暗黙知も共有されている。

ここに違いがある。
日本では細かなコミュニケーションもほぼ言語のみで行うことが出来る。
ところがアメリカや、英語を話す国々の人同士では、言語のみのコミュニケーションでは暗黙知の共有がなされていないため、齟齬が生じやすい。
それを埋めるためのマルチメディアのタイムラインがあるとしたら。
そして、それこそがFacebookだとしたら、なぜ海外でこのサービスが流行っているのか説明出来ないだろうか。

昔、なぜハリウッドがアメリカで生まれたのか、という考察をどこかで読んだ。
他民族の移民国家であるアメリカでは、言葉がわからなくても文化の壁を乗り越えて映画の面白さが伝わるようにしないと売れない。
そこで脚本や編集といった映画技術を、暗黙知に頼らずに観客を楽しませるよう工夫を重ねて生み出されたのがハリウッド映画なのだと。

Facebookはこれと同じようなモノではないか。
コミュニケーション手段が言語以外の方法が多岐に渡るほど文化の壁を乗り越えやすくさせ、世界中でより多くの人と繋がることが可能になる。

逆に日本のような、ほとんどの人間に暗黙知が働くような同質な社会ならばFacebookを使う必要すらないのかもしれない。

もし上記の仮説が正しければ、日本でFacebookを流行らせるには、今までとは違った戦略をとる必要があるのだろう。
こういった文化の違いについて、ザッカーバーグは何か対策を打ってくるのだろうか。
いくら技術的なスペシャリストを集めてきたところで、文化論的な対策を打たなければ、日本を攻略するのは厳しいのではないだろうかと思った。