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過去記事置き場

本を読む速度が遅くても、私は気にしないことにした

昔から、本を読む速度が遅い。
本自体は好きである。
結構読む方だ。 
しかし、読むのが遅い。

なぜ遅いのか。
どうやら頭の中で音読しているのが原因のようだ。
 
他の人がどうやって本を読んでいるのかは知らない。
私は言葉を、文字を読むと同時に、頭の中で発している。

3年ほど前、たくさんの読書体験に憧れて、速読の訓練を始めたことがあった。 
結局身にならなかったのだが、速読の本には以下のようなことが書かれていた。 
「頭の中で音読しているから読むのが遅くなる」

たしかに。
納得である。

この読み方は間違いなく遅い。
やってる本人から見ても至極当然と感じるほどに遅い。
しかし、これ以外の読み方で、言葉の意味を理解しながら読むことができなかった。
字面だけ追う読み方は、どうにも言葉が浮かび上がってこない。
その言葉が持つ力を感じられないのである。

頭のなかで音読し、
言葉を字ではなく音として認識し、
意味を理解しようとしている。

これが自分の読み方なのだ。 
文字だけ追っても、その字以上のことは何もわからない。
言語の世界と空間の広がりは、ただ音の中だけに存在しているかのように感じる。
音として伝わる言葉は、浮き上がって立体的である。
これこそ、本来感じるべき、言葉の力ではないだろうか。

ところで、どうすれば早く読むことができるのだろうか。

理解するのに有効なリズムで読み上げていると、どうしても遅くなる。
それでも、これ以上速く読むつもりはない。
言語空間の広がりを、音として認識していたいから。

音が、私の世界を形作っている。
ずっと視覚が、一番大切だと思っていたけれど、私にとっては音なのかもしれない。
音の聞こえない世界は、まるで仮想現実のように感じるだろう。 

おかげで積まれる未読本はどんどん増えていく。
言霊の世界は加速しない。
だから私が、世界中の本を読み切ることもないのだろう。

どれだけ遅くてもこれが自分のやり方である。
そして、最上の選択でもあると信じている。