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過去記事置き場

撮るべきもの

写真とは、綺麗な構図に収めるものだと思っていた。
ダイナミックな構図、歴史の一瞬、弱肉強食、まなざし、建築、光と影。
それらの一瞬を収めるものだと思っていた。
けれど違ったのだ。

汚い部屋を掃除していた。
私はうつになっていて、それでいて部屋は汚くなる一方だったから、そろそろどうにかしないとなと思い、先の三連休にあれやこれやと綺麗にしていた。 うつだからなのか、薬のおかげなのか、ものを捨てるのに躊躇がなくなった。
自分と関係がないと思えるものは、とっとと捨てることができた。たとえそれが高価で、まだ一度も読んだことのない本だったとしても。
そうしてダンボール数箱分にのぼる本やDVD、CD、謎の物体から服まで、何から何まで廃棄した。
そうして、10年近く前にフィルムで撮影された写真の数々を見つけた。

私はさまざまながらくたと一緒に、まとめて捨てるつもりだった。
カメラテストのようなショットばかりで、ものによってはISOも絞りも焦点距離もめちゃくちゃで、それらの写真の多くが失敗作としてまとめられていた。綺麗に撮れたと思えたものは、すでに別のアルバムに移されていた。大量にあったのはどうしようもない写真の方だった。

捨てるつもりで眺めていて、こころがざわついた。
そこには、その瞬間には、間違いなく自分がその場所にいて、写真を撮っていたのだ。
いまとなっては存在しない、ある時間のある季節、何かを想い、ある対象にカメラを向けた。なにかに惹かれて、それらを写真におさめていた。
他人から見ればとても褒められたものじゃない出来の写真が、私の心を動かしていた。
それは郷愁という名の感動だった。

なんでもないひととき。
今見つめているもの、あるいは、日々流し見しているもの。
そういったつまらないもので、私はカメラテストをしていたのだ。
たまたまフィルムが何枚か残っていて、それを使い切るために撮っていたりした。
まさか、そうした写真に心を揺り動かされるなんて思ってもみなかった。

かつて、良い写真だと考え、カッコつけて構図をキメた写真たち。 それらに心を動かされることはなかった。

私の心を動かしたものは・・・

  • 退屈。
  • がらくた。
  • てきとうに見たもの。
  • 暇に任せてレンズを向けた。
  • なんでもない日々。

こんな大切なことを知ったのは昨日のこと。
捨てるはずだった写真は、無印良品で買ってきた安物のアルバムに収めることになった。

写真は人生に輝きを与えてくれるらしい。
しかしその輝きは、撮った瞬間にはわからないようだ。
まるで化石燃料みたいに、あるいは酒のように、時間をかけて価値を上げていくのかもしれない。

なんでもない日ですら、いつか宝物になる。 なんとなくだけど、前を向いて歩こう、と思った。