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過去記事置き場

聖徳太子の十七条憲法を読む

何となく思いつきで現代語訳の十七条憲法を読んだら、なかなかに的を得ていて面白い。
とくに感銘を受けた3つを紹介。

第七条 - ポストを褒美にしてはいけない

七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。

ポストというのは、その役割を全うする人間が就くものであって、年功や序列で決まるものではない。
与党時代の自民党、そして今の民主党も、昔から居たというだけで大臣ポストを割り当てられている人がいる。
そういう人間は役割を全うしないばかりか椅子にしがみつくから即刻射殺しなさい。

第十条 - 皆ともに凡人

十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分と異なったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、誰が定めうるのだろう。お互い誰も賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手が憤っていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見に従って行動しなさい。

意見は食い違うもの。
『自分が必ず聖人で、相手が必ず愚かだという訳ではない。みなともに凡人なのだ』
泣けるね。

どれだけ正しさを証明しても、それで物事が解決したり良くなったりする訳ではない。
ひたすらにお互いが正しさを示すと、水掛け論みたいになる。
「落としどころ」や「折り合い」といった事態を解決する能力が求められるのかもしれない。

第十七条 - 重大な事柄だから議論する価値がある

十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

こんにゃくゼリーに膨大な時間を使って、外国人参政権を電光石火で通そうなんてしないように。
そんなに大事なら国民投票にでもかけろ。

たったの十七条だが、この国で初めて明示された国家の理念であるし、もうちょっと学校でしっかり教えてもいいと思うんだけど。
昔のことだからといって、さらっと流してしまう現代歴史教育に絶望した。

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※ここを参考にさせていただきました。
十七条憲法