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過去記事置き場

iPhoneには鏡のメタファーがあるのではないかという仮説

iPhoneはより自然なインタラクションを実現するために、メタファーとして鏡を用いているのではないかと考えた。

疑問の発端は「どうしてiPhoneは、これほどまでにタッチインターフェイスの操作性を重視するのか」ということだった。
この違いはAndroidと比較すると一目瞭然である。

両方の端末を使ったことのある人なら分かると思う。
iPhoneAndroidでは操作中の感度が全く違う。
ほとんど遅延のないスクロール。
自然な加速と減速の再現。 

Androidでは、触れてから実際に動き出すまでに、ほんのわずかな遅延がある。
また指で画面をはじくと、当然スクロールする訳だが、その加速度が不自然だ。
現実世界で考えられる予測の範疇を越えてしまっている。

一見些細な違いなように思える。
けれども、この違いこそが自然か、不自然かの分け目なのだと思う。

 完全に同期したものは自らの肉体の延長線として認知できる。
しかし、そうではないもの(ここでいうところのAndroid)は、ただの道具であり物に過ぎないのだ。 

鏡の中の存在を自己として認識出来るのは、自らの動作と鏡の中の像が完全に同期しているからだと思われる。
同じ理屈で、iPhoneの極めてシンクロ率の高い操作性が鏡のメタファとして機能しているのではないだろうか。
他の機械にありがちな使いづらさや不自然さは感じづらい。
iPhoneはただの道具ではなく、明確に肉体の延長として機能するよう設計されているのだと思う。

僕らはiPhoneという鏡を使って、自らの頭の中を擬似的に操作しているのかもしれないな。