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過去記事置き場

感動を覚えたのなら、言葉にして残そう

感動とは何か。
それは心の振れ幅が、たまたま大きく振れた、ということだと思う。
時が経てば感動は薄れていくし、感動を与えた何かに再び接触しても、同じ感動は味わえない。

それをもって人は「賢くなった」と言うこともできる。
後から見れば「なんだこんなことか」と思えてしまうだろう。
白けることだって、あるかもしれない。

それでも、そのとき、心が大きく震えたことは事実なのだ。
そして、その大きく震えた瞬間にしかカタチにできない表現というものがある。

いつか感動を与えた何かの価値は下がるだろう。
けれど、その心を大きく震わせた状態の「自分」は、かけがえのない存在ではないか?

であるならば。
感動し、心が震えたのなら、言葉を残そう。
めちゃくちゃでもいいから、何か形に残そうと足掻いてみよう。

感動を覚えたとき、「これは心に仕舞っておこう」などと思ってはいけない。
大抵、忘れる。
私は知っている。

感動から生み出される表現には力がある。
情熱と言っていい。
小さな感動も、大きな感動も、それをどうにかして誰かに伝えたいと思ったとき、自分の表現力の限界に挑むことになる。
自分自身の小さな領地から、外に出るきっかけになる。

人は大人になるにつれて、感動することが減っていく。
世界というものに慣れてしまうから。
それでも、小さなことに関心したり、感動したりすることはあるものだ。
思わず「大したことはない」などと言ってしまいそうになるかもしれない。
そこをこらえて、言葉を綴ってみる。
書いた瞬間はなんとも思わないことも多いだろう。
けれど自分の体から感動が抜けたとき、その言葉にこそ、感動した時の自分を蘇らせる力があることに気付くはずだ。