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過去記事置き場

説明という苦難

説明すること自体が野暮である。

と、自分は考えているらしい。
昔から自分自身の感じていること、思っていることを人に伝えるのが苦手だった。
見て分かることをわざわざ説明したくないし、見てわからなかったら多分説明してもわからないだろう、などと固く信じているところがあって、おそらくこの考えは間違っているのだけれど、もうすでに長い年月に渡って染み付いてしまった習慣ゆえに変えられずに居る。

今になって困っている。
たとえば映画を観たとしよう。それが素晴らしかったとしよう。けれど伝えることができない。私には伝えるだけの熱意がない。いや、伝えることはできるけど、言葉で説明しようとした途端にとてつもなく醒めてしまう。

解剖みたいなものだ。
生きている動物を解剖すれば大抵は死ぬだろう。
フランケンシュタインでも無い限り生命を戻すことはできない。

説明しているうちに、内側から燃え上がる炎が急速に萎んでいくのがわかる。
そんなのは嫌だ。
言葉にして死人になるくらいなら、何も言葉にできずとも、生きていたいと思うじゃないか。

私は説明すると死ぬ呪いにでも掛かっているのかもしれない。
とはいうものの、全ての説明が不可能なわけではなく、例えばビジネス的な説明は訥々とではあるけれど死なずに説明できる。
いや、初めからこれらは情熱など欠片もないのだ。ただただ、計算と理性だけでできる。

問題は、感情と感覚の関わる部分に於いてである。

好きなことがある。それはなぜ?
わからないし、わかっていても言葉にしたくない。
言葉にしたら、きっと夢から醒めてしまう。
けれど言葉にしなければ、いつか忘れてしまうのだろう。

説明することができない。
この問題を解決するには物語の力が必要なのだろうと思う。
しかし、それを自由に操ることができずにいる。

だから今は、説明なんて野暮だということになっている。