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当事者意識に関するメモ

問題を解決するためには当事者意識が必要だが、常にあらゆる問題が自分自身と関係在るわけでもなく、他人のせいで発生する問題の方が多い。
問題を自分自身で制御できればストレスも少なくて済むのだろうけれど、世の中そうはならない。
複雑にいろんな人間の思惑が―――主に責任から逃れるために―――膨れ上がって解決の糸口が見当たらなくなる。さてどうする?
もしあなたが下っ端の人間ならもっともストレートな対処法がある。
他人のせいにする。これだ。

あるいはもうひとつある。
単純に逃げるのだ・・・。
まあなんだっていいか。

それにしても人間というのは不思議だ。
当事者意識を持てと言われると持ちたくなくなるし、危機感を持てと言われると、それを言っている人間の頭脳に危機感を抱く。
頑張れと言われれば、それはほぼ強制だから大抵やる気はなくなる。
それでもやるかどうかが問題なのだが、そもそも頑張れって言わないといけない状況を作っている時点で敗北である。
もし常日頃から頑張ってギリギリ浮き上がるくらいの成果しか上げていなかったら、それは完全にマネジメントの失敗だし、頑張れって言っている人間は恥を知るべきだ。

当事者意識も危機感も、そして頑張るということも抽象的な話だ。
こうしたことを持ってほしいという気持ちはわかるが、抽象的な概念をそのまま伝えても何の反応も起きないだろうし、単に馬鹿にされて終わるのではないかと思っている。

当事者意識というのは他人から言われてどうこうなるものではない。
気付くものだ。
気付いた時にどう動くべきか、それを予め整えておくことが大事なのでは無いだろうか。

当事者意識を誰にでも求めるのは酷だ。
大抵の人は責任が薄いのだから。
給料も低くて権限もあまりない人間が当事者意識を持つと鬱病になる。
精神科の先生に相談すると「君がそんなこと考える必要ないのでは?」と当たり前のことを問われる。
意識の高さは人を殺す。
マジメな人、物事を理解しようとする人。

僕は安直に、他人に意識の高さを求める人が嫌いだ。
そんなに意識の高さを求めるのなら、金を積め。権限と責任をくれ。
それができないなら、期待しないでくれ。
と言いたい。

そんじゃーのん。