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過去記事置き場

仕事はサボらないと成果を残せない

一番大事な仕事は、新しい「何か」を生み出すことだ。
何かが職種によって異なるが、例えば自分だと、新しいコード、新しいサービス、アプリ、ユーザーインターフェイス、インタラクション・・・などなどといったところだ。
「何か」は成果物である。それがお金に直接換算されるものであることも多い。

その新しい「何か」を生み出せるかもしれないアイデアは、なぜか仕事中に突然降ってわいてくる。
そして「ああああああああああああああ」と思っているうちに去ってしまうのである。

降って来たアイデアで、成果を出すにはどうしたらいいのだろうか。
簡単だ。すぐに取りかかればいいのだ。

いや簡単じゃなかった。
なぜか、大抵アイデアが降ってくるタイミングというのは、手が離せないときなのだ。

そのときに生まれたアイデアを、その瞬間に行うか、それとも仕事が一段落するまで放っておくか、という選択を迫られる。
真面目に仕事をしなくちゃ、と考えているとどうしてもアイデアを伸ばすことを後回しにしてしまう。
そして、大人な対応でアイデアをやり過ごし、目の前の仕事をこなして一段落した頃にはアイデアの火は消えかかっているのだ。
一体何度、あのときすぐに実行しておけば良かった、と思ったことか。

アイデアを見つけたら、置いておくべきことはアイデアではなく、現在の通常業務である。
それが障害対応とか、明らかに時間に追われている場合は別として、待たせられる仕事なら構わず放ってしまおう。

仕事をサボる。
それから生まれたばかりのアイデアとしばらく向き合ってみよう。
こうでもしなければ新しい芽なんて出てきやしないじゃないか。

サボる、というのは何もしないことではない。
ただ寄り道をするだけのことだ。

そして、それがとても大事なことなのだと僕は思う。

ライブドアリサイクルは素晴らしいけどマンガは売るな

ライブドアリサイクルとはこれのことです。

ネットで気軽に本を売ろう、高値買取のlivedoorリサイクル

大量の本を買い取ってもらうのに毎度ライブドアリサイクルにお世話になってます。
買取の値も、実家・地元にあるブックオフの二束三文な値しか知らなかったから、ずいぶん高く買い取ってくれるのだなあと感心したものです。
買取の値段がつかない本が出てもそのまま処分してくれるし楽チン。
これがTSUTAYAのネット買取だと「始めから送ってくんなボケ!」ということが書かれてるくらいですから、まあ気軽に本を送りやすいですね。
今まで5回以上使ってトラブルもなく、スピーディに処理してくれているので文句なしです。

おすすめの理由を述べた上で、今回の買取から分かったことを書きます。

マンガの買い取り価格が異常に低い

147冊で約14600円。

だいたい1冊100円くらいなんですが、本当ならもっといくかなと思っていたのです。
なぜなら前回売却したとき以下の値段だったからです。

157冊で約19200円。

悪くないでしょう。
一体、今回のパフォーマンスの悪さは何が原因なのか。

ライブドアリサイクルでは履歴に、すべての本の買取値を確認できます。
それらを一通り眺めて、はっきりと分かった傾向がありました。
それは、マンガがゴミの値段である、ということです。 

ゴミの値段とはいくらか。
5円です。

明らかに売れそうにない新書でも30~40円にはなります。
※ついでに一番高いのはオライリーなどの技術書でした。大体300円くらい?なので原価の1/10ですね。当然の値段といえるかもしれません。

マンガ以外の本は大抵1/10くらいで買い取られています。
けれどもマンガとなると、最近買った本(モテキとか)でもほぼ5円。
たまに最新刊あたりで30円くらいの値がつきます。
でもそれが限界ですね。

一般書や新書に関してはブックオフで買い取られるよりかは高いけども、マンガをライブドアリサイクルで売却することはお勧めしません。
マンガはマンガで需要のありそうな秋葉の古本屋とかで売るのが賢いのかなと思いました。

結論:マンガ以外の売却ならライブドアリサイクルはおすすめ。

いつかプログラミングという仕事も消えてなくなるのかもしれない

写植がかつてすごく稼げる仕事だったけれど、デジタル化の波であっという間に仕事がなくなったという話を知って、実は今のソフトウェアエンジニアも同じようなものなのではないかという考えが浮かんだ。

写植はアメリカンドリームだったのか? - たけうちとおるのスクリプトノート

 「写植の時代展」の小冊子を読むと高度経済成長期やバブルの頃は写植という職業も大きく伸び上がり、普通の会社員の年収ぐらいを1ヶ月で稼ぐ事ができたそうです。当時の話を聞くと写植屋さんで5年程修行した若者は「のれんわけ」してもらい、高価な写植機を師匠からもらったり、買ったりして独立して行ったそうです。仕事は山ほどありました。なにしろ景気がいいので雑誌もどんどん創刊されその中の文字は全て職人さんが打った物でした。いまからはとても考えられない時代。写植で家が建つ。そんな時代だったそうです。

特殊技能として稼げる仕事だった写植だが、この後DTPの波で壊滅する。

これと同じことがソフトウェアエンジニアの身に起きないとは、思えない。
今すぐではないにしても、いつか必ず起こること。
たとえば、SiriみたいなAIが勝手に必要なコードを組んでくれるようになったらどうだろう。
対話式で、つまり要求を話すだけで人工知能がポンっと完成品を出してくれるとか。
そこまでやらなくても、Yahoo Pipesのようなお手軽なツールで一行もコードを書かずに、素人でもアプリやサービスが作れるようになったらどうだろう。これなら自分が知らないだけで、すでに実現しているのかもしれない。

単なる技術というのは、遅かれ早かれ陳腐化する。
だからコードが書けることが、仕事にありつける条件にならない日がくる。

しかしながら、プログラミングという仕事がなくなっても「プログラミング思考」の必要性はなくならないと考えている。
AIが勝手に作ってくれるとしても、それを検証するだけの思考能力が必要だ。
ツールでお手軽に作れるといっても、その機能同士の繋がりからロジックを組むのはやはり人間である。

人間の最大の武器は「思考」とそれを活用する「フレームワーク」ではないだろうか。
これから先、あらゆる仕事が産み出され、そしてイノベーションによってその仕事が消えていったとしても、考え方というのは活用する人間がいる限り廃れない。
現代人が古代ギリシャの哲学からも学べるように、1000年のちの人間もまた、この時代に産み出された「プログラミング思考」を活用する未来というのがあるのではないだろうか。

ギリシャ哲学に並ぶ、新しい思考の体系を産み出す時代のひとつに僕たちは生きているのかもしれない。
そう考えると、なんかワクワクしてこないか。

松岡正剛の真似をしてたら体調崩しそう

もちろん、悪いのは僕です。

多読術 (ちくまプリマー新書)
多読術 (ちくまプリマー新書)
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松岡正剛は夜中の3時まではほとんど起きてる、という話をこの本で知り、よっしゃ俺も本気出すかと、ブログとか書いたり、仕事の資料をまとめたりしてたら、空腹とディスプレイを凝視していたせいで気持ち悪くなりました。正剛さんも執筆したり、本を読んだりであまり環境は違わないと思うけど、凄い体力ですねって伝えたい。

 この『多読術』を買ったいきさつは、今まさに私の状況が積ん読タワーに囲まれていまして、これをとっとと処理したいという思いから購入しました。
どういう効率的な読書してんのかなと。
そしたらそういう話はほとんどない。

ハウツーではない。
松岡正剛のノウハウも、どこかで聞いたような当たり前の読書術だ。
付箋を使うとか、直接本にメモしてしまうとか、そんな話である。

そんな感じで、特に知りたいことを見つけられないまま読み進めていると、別の箇所が浮かびあがり、強い印象を残す。
それは、読書とはその読む行為のコンテキストが大きな影響を与える、という部分である。

実際に読む文章は同じなのだから受け取る印象はどこで読んでも同じである、というのは思い込み。
騒々しい電車の中で読むのと家の静かなソファで読むのとでは、同じ本でも受け取る印象が変わる。
また、同じ場所でもパジャマで読むのと正装で読むのとでも違ってしまう。
自分自身の気分や体調、さらには周りの状況で読書によってもたらされる体験は変化する。

だからこそ2度読む。
なるほど。これは正しい行為だと思った。

しかし不思議なのはあれだけの本を一体2度も読む暇があるのかということ。
正剛さんはそこのために3時過ぎまで起きてるんだろうなあ、と思うとやっぱり何かに取り憑かれてるんじゃないかと思わずには居られない。

そういや自分も、映画製作を目指していた頃は、4時まで起きて本を読むか映画を観ていた。
夢中の力がそこにはあった。

より多く本を読むにもモチベーションというものが関わってくるが、それだけでなく状況、環境、そういったコンテキストの重要さを気付かせてくれた。

と満足したところで積ん読タワーを眺めては嘆息する。
結論としては「ハウツー本を探してる暇があったら地道に読書を続けろ」ということなのだろう。

読書に王道はないのかもしれない。

ブログの趣旨を少し変えて再開します。

以前は何でもかんでも書いていましたが、主に書籍を中心に、たまに他の話を絡ませたりとかしたりしなかったりのブログにしていきます。
むしろBloggerの方が放置される運命にあります。
書くことを絞った方がブログは続くんじゃないかと思いました。

ブログは続かないと意味がないとは言われているけれど、続けようと思っただけでもプレッシャーになるから、そういったものを感じないジャンルを選択しなければいけない。
ということで本です。
私はよく本を読むので、本について語りつつ、あるときはテーマを持っていろんな本を選出するなどして、役に立つ情報になればいいなと。
本質は自分自身のノート的な役割になってしまうと思います。
悲しいですね。

スターターを増やそう。

スタートアップだと企業的な話になるので、個人でも始められるというところで、あまり気張らずスターターと、このブログでは呼ぶ。
この言葉は37signalsが書いた「小さなチーム、大きな仕事」に書かれていることに触発されたものだ。
気取らず、実態に即した言葉。

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

  • 作者: ジェイソン・フリード,デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン,黒沢 健二,松永 肇一,美谷 広海,祐佳 ヤング
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/01/11
  • メディア: 単行本
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もっとも尊敬されるべき人は実際に行動を起こした人であり、そしてそれが成果に結びつけることの出来た人である。
口だけ動かすのが達者になることは、まあ政治家などでは良いかもしれないが、エンジニアとしての立場で言えば最悪な部類である。


「芸術家は製品を出荷する」と語ったのはジョブズだが、デベロッパーもプロダクトをリリースする。
上のスターターと同じように、エンジニアやプログラマーではなく、作り手のことをそのままデベロッパーと呼びたい。
エンジニアだけがサービスやアプリを作れる訳じゃない。
デザイナーがデザインのオマケでコードを書いて出荷したとしても、それが役に立つのであれば立派な製品であり、それはデベロッパーと言っても差し支えない。
大きな枠で見て、作り手という意味で今後はデベロッパーという言葉を積極的に使うつもりだ。


私は、シリコンバレー型のスタートアップを雛形として見るのは、歓迎したくない。
ここはサンフランシスコじゃない。
日本だ。
確かに、一発当ててでっかくなれたら、そりゃうれしいだろうけど。
でっかい夢を語ることが大切なのは分かっているが、それでもこの挑戦は宝くじに当たるようなもので、ほとんど夢物語に近い。


ITがもたらした最大の恩恵は、小さな企業でも小さな投資で、スタートを切れるようになったことだと思っている。
それはつまり、既存企業によりかかるのではなく、仕事を自分たちで作り出すことが容易になったということではないか。
若年失業率が上昇し続ける昨今、若者が仕事を自ら生み出し、一市民として責任を持って生きていけるようになれば素晴らしいじゃないか。
その仕事がたとえ企業になるほどの規模に成長しなかったとしても、自身が作り出したサービスやアプリで、自分一人でも養えれば、それは本当に立派なこと。


最終的には雇用が増えれば何でもいいとは思っている。
そして、出来れば一人一人が自立の道を歩んでもらえれば、市民社会として成熟への道が開けるんじゃないかと企んでいる。
だから、私はスターターを応援したい。
自分一人だけが生き残るためのプロダクトであったとしても、一人分の雇用を生み出している訳だから賞賛に値する。


仕事を創造する力を養いたいと思っている人を、応援するブログにしたい。

はてなブログのドメインを変えました。

最初取得したときは、hatenablog.jpにしたんだけど、やっぱりhatenablog.comの方がカッコいいかなと思って、ブログを作り直しました。

.jpの方はあとで抹消します。

ところで、はてなダイアリーから引き継いだら、ダイアリーの方はどうなるんだろうね。というか有料会員の僕はまだ引き継がない方がいいのかな。
こういうところ、どうしたらいいの的なもの、はてな側は出さないでいいのか。

わからん。